子どもに関わる支援の大変さと楽しさ 〜児童相談所の例〜

2025.11.11

弁護士 小林 美和(こばやし・みわ)65期

 

1 コタンの楽しさと葛藤

 私が最初に弁護士登録をしていた京都弁護士会で、縁あって何度か、子ども担当弁護士(いわゆる「コタン」)を務めました(日弁連の子どもに対する法律援助の制度を利用しています。)。今も、そこで知り合った子どもの1人とつながっています。その子から、「先生と出会って10年記念なんだよ」と言われましたが、その子が求める限り、きっと何度も今後も関わり続けると思っています。
 私が京都にいた当時は、成人年齢が20歳でしたが、児童相談所の対応は、概ね18歳で終わっていました。18歳までに施設入所措置や里親委託措置(児童福祉法第27条1項3号)をしていたら、措置延長をすることもありましたが、私が出会った子ども達は、18歳になる前に、児童相談所のケースが終了していて、そもそも、措置延長の対象ではありませんでした。ただ、自立援助ホーム(児童福祉法第6条の3)に入所することはできました。18歳や19歳の子どもは、当時は、親権者の親権行使の対象であるものの、自分の判断で、親から逃げていました。あるいは、戻っていくための家が無いことを自覚していました。
 コタンのするべきことは、法律援助の範囲には「行政手続代理等」と書いてありますが、具体的なことはよくわからなかったので、私は、子どもがどういう生活を望んでいるのか、を聴くことがスタートでした。後になって、振り返ってみると、子どもの夜過ごす場所と昼に過ごす場所の確保と経済状況を整えることと、安全確保が必要だということがわかり、その調整をしていました。
  夜過ごす場所は、自立援助ホームの「その後の場所」を見つけることが必要でした。子どもに対して真摯に対応してくれそうな、知り合いの不動産会社に頼み、家を探してもらうことも多くありました。昼過ごす場所は、学校に行く場合は、学校とそして学校の授業のサポートをしてくれるところに、学校に行かない場合は、仕事や福祉とつながっていることが必要でした。経済状況を整えるのにあたって、生活保護の制度を活用したり、障害福祉の制度を熟知したりする必要がありましたので、その子どもの住所地の市役所や区役所でもらった、資料をよく読み込み、必要に応じて行政とつながるようにしていました。安全確保は、警察などとの連携が必要でした。
 当時の私が、個人的に一番大変だったのは、実は、「どうやって携帯電話を子どもが持つか」でした。親権者の同意書がないと、携帯電話の契約ができません。親権停止の審判を求める方策もあったかもしれません。しかし、審判には時間がかるときもあり、また、子ども達がどのような虐待を受けたのか、ということをしっかり語るにあたっては、多大な心理的負担もかかることも想定されました。携帯電話が使えなければ、その間に、仮に家が見つかり、一人暮らしをするにしても、外部と連絡をとる方法がない、ということが大きな問題でした。当時の私は、データ通信限定の格安SIMや通話発信のできる各種サービスにかなり詳しくなりました。
 コタンで、いろいろな機関や支援者と調整すると、志のあるいろいろな人と出会いました。なぜか、支援者は、みなさん、優しい人が多くて、自分の利益を求めるのではなく、自分ができることをそれぞれできる限りを尽くして、他人のために動いていました。そして、常に将来の子どものために自分ができることを増やすために、知識を増やす努力を惜しみませんでした。私にとって、その時に出会った人の優しさは、ずっと宝物です。
 他方で、支援の中では「境界線」に気をつけなければならず、私の中での常識が、子ども達にとっての常識ではないときもあります。私が、子どもにとって、「よかれ」と思ってしたことで、子どもにとって望んでいないこともありました。子どもの仕事をしている弁護士と話すと、心ある多くの方は、大体どこかしらで、後悔を抱えていたりします。一般的に、自分の子どもの子育てが難しいように、コタンで動くこともまた、難しいと思います。にもかかわらず、関わらずには、いられない自分がいました。

 

2 児童相談所へ

 いろいろな葛藤を抱えていたときに、ちょうど児童福祉法改正があり、児童相談所常勤弁護士の議論が日弁連内でありました。京都弁護士会時代の事務所のボスが、日弁連理事会などでその議論を聞く度に、資料を私の机に置いていってくれました。18歳未満の子ども達へ児童相談所はどんな支援をしているのか見てみたい、その現場に飛び込んでみよう、と思って、採用試験に応募しました。面接で初めて、新潟県新潟市に行きました。
 新潟市では、児童相談所と市役所総務部の兼務としての仕事をすることができました。週3日は、児童相談所に、週2日は、市役所本庁に勤務し、本庁勤務日のうち半日分のみ、配偶者暴力相談支援センターでも過ごさせてもらいました。市役所本庁では、例規審査、審理員業務、庁内法律相談などを対応し、児童相談所では、法律相談、各種法的手続の代理業務、子どもに対する法的手続の説明のほか、児童相談所勤務日に開催される全会議に出席し、外部との調整などをしました。新潟市は、政令指定都市だったので、都道府県と同じ業務をしていたことから、幅広い業務を担当させてもらっていました。
 児童相談所に特化すると、毎日所内では電話が鳴り響きます。特に「189」にかかる電話は、特殊な呼び出し音が所内に響きわたり、絶対に取りこぼさないようにされていました。最初、その音に驚きました。いろいろなケースで、会議で、たくさん議論をするだけではなく、保護者面談にも同席したり、自宅訪問に同行したりすることもありました。ケースごとに、2人3脚のようなチームを組み、対応にあたりました。警察や裁判所、弁護士会との連携が必要な場面では、弁護士側で児相の通訳のように「つなぐ」仕事をしていました。

3 児童相談所に対する世間の目

 児相で過ごすうちに、気がついたのは、虐待件数の多さ、そして、職員の疲弊の大きさでした。あるケースを対応していた職員さんは、児童相談所の虐待通告が多いのは良いのだが、その日に自分がたてた予定の業務ができず、結果として残業になったり、次の日に持ち越す(が、次の日にもその予定が消化できない)ことがきつい、とぽろっとこぼしていたことがありました。どうにかして、自分の子どもの授業参観など保護者がかかわることに必要なところにいけないだろうか(諦めた方が良いだろうか)という思いを持ちつつ、そっと諦めようとしていた人もいました。
 そして、ちょうど、私が新潟市に勤めていたときに、他の地域の児童相談所で、立て続けに虐待死が起きました。すでに報道にも出ているように、新潟市は、全く無関係です。にもかかわらず、そういった事件があると、いろいろな方から、「新潟市は大丈夫か」というご連絡がきました。私は、こういった声が疑問でした。児童相談所職員は、将来の虐待予防のために働くことを期待されていますし、職員達は皆、将来の虐待予防をしようと日夜努力していますが、虐待を予防できなかった責任を負う主体ではないのではないか、と。虐待をするのは、保護者ではないのか、と。
 児相が、子どもの一時保護をしたときに、その一時保護に対して、大きな反発をする保護者の姿をよく見かけました。児相職員に対し「責任もってお前らが面倒見られるのか」と言う保護者も多く見かけます。そして、一時保護の解除にあたり、子どもが家庭復帰すると、虐待親は、児相のもとで過ごした子どもが、規律正しく親の言うことを聞くような子どもになっていることを期待している姿もみかけました(もちろん、そうしたケースはその後に虐待が再発するケースもあります)。また、児相が子どもの一時保護を解除し、家庭復帰するにあたり、関係機関から心配の声が上がることもありました。
 一時保護は、子どもの安全確保またはアセスメントのためになされますが、その「一時保護」に大きな期待を皆が持っている、その中に、児童相談所がいる、と言うことに気がつきました。

4 児相における家族対応

 児童相談所にいて、虐待親の前記のような発言は、無責任ではないか、と思ったこともありました。しかし、一時保護した多くのケースで、子ども達は、家に帰ることを望み、また、家に帰れると分かったときに喜んで泣く、という姿を何度か見かけました。子どもにとっては、たとえ虐待があったとしても、やはり家に帰ることは特別で、喜ばしい出来事なのだと思います。
 こうしたときに、家族再統合プログラムとして、サインズオブセーフティや安全パートナリングに触れました。「家族再統合」プログラムは、「再統合するかどうか」をきちんと、見極めることを前提にしています。私自身は、安全パートナリングの研究者であるSonja Parkerさんの研究に触れました。安全パートナリングでは、一時保護時に、緊急的に対応しなければいけないことは何かと、長期的な対応として何をするべきか、ということを分けることを前提としていました。虐待親が改心して、自身の行動を改める、そういった行動変容は、すぐにはできないから、長期的に対応していくこととなる、と。あくまでも、一時保護の前後における緊急的な対応は、親が変わらないことを前提に、子どもの安全を守るために、第三者・他の親族などの協力を得られるかどうかなどを含めた外的環境を整える、ということが求める、というものでした。そして、この安全パートナリングは、子どもの声をたくさん拾うための手段を使い、子どもの気持ちを取り入れるようにしながら、同時に、保護者自身が、むしろ自分たちで何ができるか、積極的にアイデアを出してもらい、それを用いてケースに活用していく、というものでした。
 結局、児相のもつ一時保護機能は強力であり、一時保護を解除するにあたって、保護者の課題を解決するために、ソーシャルワークとして、支援機関につなげます。このため、保護者が、自発的に解決する意欲が削がれたり、保護者自身は「児相がどうしたら自分の子どもを返してくれるか」にのみ着目してしまう傾向があるのではないか、と思っています。保護者が児相の権限に期待してしまうことは、前記のように、他者から言われたことなので、積極的に、あるいは自発的に変えようとする意欲がわかないときもあります。でも、そうしたら、虐待が再発するだけです。多くの子どもが、保護者に対する愛着を持ちながらも、虐待が繰り返されるたびに、保護者を「《諦めて》施設に、里親のもとに行きたい」と話す、という姿は、見ていてつらかったです。子ども達が諦めるまで、傷付かなきゃいけないのか、と。
 その中で、先ほどの安全パートナリングは、私の中で、とても良い気づきでした。虐待をした保護者自身に対し、児相に任せっきりにせず、自発的に解決に向けた意欲をもたらし、まずは環境を安全なものへ、そして次に長期計画で、行動を変える努力をし始めることにつながりました。子どもの声をたくさん拾うことで、保護者が、本当は子どもが生まれて嬉しかったこと、子どもが大切であることを改めて気づき、そして行動する力になるのだと感じました。そのことは、子ども達が家族と過ごす将来を諦めなくても良いかもしれない、という選択肢になります(もちろん、帰らないという選択もあって良いと思います)。
 今後、私は、もっと、児相の四面楚歌な状況を減らしつつ、もっと子ども達の意見を大切にしていくための方策を深めていきたいと思っています。

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