弁護士のコアバリュー

2025.11.11

弁護士 神田安積(かんだ・あさか) 45期

1 2010 年の出来事

  弁護士は、正当な理由なく、法令により官公署から委嘱された事項を行うことを拒絶してはならない。
 この条文が弁護士職務基本規程の中の第80条として定められていることを知ったのは、今から15年前の2010年のことである。
 そのとき私は、栃木敏明二弁会長の下、末席の副会長を務めていた。10月に入り、当時いわゆる陸山会事件と呼ばれた政治資金規正法違反事件において、東京地検が不起訴としていた当時民主党(現立憲民主党)の小沢一郎衆議院議員に対して、検察審査会が起訴議決をしたという報道に接し、その後まもなく、二弁において指定弁護士を選任しなければならないことを知らされた。
 21世紀初頭の司法制度改革を経て、検察審査会の議決に強制力を持たせる制度が2009年5月21日に導入されたばかりであり(同じ日に裁判員法も施行)、指定弁護士の経験を有する弁護士はほぼ皆無の状態であった。ましてや政治的にも社会的にも大きな関心が寄せられていた陸山会事件について、直ちに補充捜査をし、速やかに起訴状を起案し、そして長期間かつ集中的に公判を遂行し、押し寄せるメディア取材にも対応していくことが求められる指定弁護士の職務を積極的に引き受ける弁護士を探すことは至難であった。さらに小沢一郎議員の当時の代理人からは起訴議決が違法であることを理由に指定弁護士を選任しないよう求める内容証明郵便が届き、某政党の国会議員から突然呼び出しを受けて抗議を受けるなど、様々な負担が大きくなる中で指定弁護士を選任しなければならなくなった。
 検察官が独占してきた起訴権限について、国民の意向が反映されるように改革された制度が発動された以上、二弁において最善の指定弁護士を選任しなければならない。その一心で、水面下で様々な会員に当たる中で、栃木会長とも相談の上、全友会会員であった大室俊三弁護士に就任をお願いすることを思い立った。
 事務所にお伺いして大室さんに単刀直入にお願いを伝えたとき、間髪入れず返ってきた言葉が、職務基本規程第80条であった。大室さんの結論は、同条に沿って考えれば、東京地裁と二弁からの委嘱を拒絶する正当な理由はなく、その一点をもって、二弁からの要請を引き受けたいというものであった。
 私は、大室さんが職務基本規程について通暁するとともに、第80条に沿って迷いなく判断を下されたことに瞠目させられるとともに、弁護士の真価(コアバリュー)を見せつけられた思いがした。その後主任を務められた大室さんの訴訟遂行やメディアへの誠実な対応も継続して目の当たりにし、私は、官公署であるか否かを問わず、同様の委嘱があれば拒絶しないよう努めることを内心に誓った。
 副会長の任期を終えたばかりの2011年4月に就任した日本司法支援センター東京地方事務所の副所長は故永盛敦郎弁護士から、2012年4月に就任した日本司法支援センター本部常勤弁護士(スタッフ弁護士)支援室室長は埼玉弁護士会の設楽あづさ弁護士から、2015年3月に就任した日弁連事務次長は当時の山田秀雄二弁会長から、そして2017年4月に就任したBPО放送倫理検証委員会委員(委員長)は全友会の川端和治弁護士から、それぞれお話しをいただいたものであったが、結論として引き受けるに至ったのは、拒絶する「正当な理由」があるかどうかを厳しく自問した結果であった。
 その後、私は2021年4月から2022年3月まで二弁会長を務めた。コロナ禍での厳しい環境の中、筆頭の青木優子弁護士、全友会の亀井真紀弁護士はじめ6人の副会長とともに、そして全友会の藤田充宏事務局長はじめ二弁事務局の皆さんに支えられ、様々な二弁の課題に取り組んだ。日弁連では、法曹人口問題や刑事司法改革などの担当副会長となり、会長、総長、そして信頼できる良き14人の副会長と全友会の佐熊真紀子弁護士や石井邦尚弁護士をはじめとする事務次長に恵まれ、充実した1年であった。
 早いものでそれから4年。全友ニュースもちょうど5年ぶりに発行されるとのことにて、改めて内心の誓いを実践できているか少し振り返りたいと思う。


2 東京フロンティア基金法律事務所

 東京フロンティア基金法律事務所(フロンティア事務所)の初代所長は、全友会の故丸山輝久弁護士である。
 丸山さんが、2015年に上梓された「弁護士という生き方-日石・土田邸爆弾、東電ОL事件から原発被災者支援まで」(明石書店)という著書の中に、フロンティア事務所の初代所長になったときのことが書かれている。その中にこのような一節がある。
 「私は、二弁で、東京における弁護士へのアクセス方法を知らない人(事件過疎)のためにと、弁護士過疎地の公設事務所に派遣する弁護士の養成を兼ねて、二弁が主宰する都市型公設法律事務所の開設を提案した。当時の二弁会長は久保利英明弁護士であった。久保利会長は即座に賛成してくれた。『言い出しっぺが所長をやれ』と言われて断ることができず、2001年9月に、新宿の三丁目の交差点そばの一階にあるビルの5階に、二弁新宿法律相談所と併設する形で、フロンティア基金法律事務所が開設され、私は初代所長となった。都市型公設事務所の全国で第1号であった。」
 あるとき、その丸山さんから、少し話があるというのでお会いすることとなった。それは、その後2021年7月に上梓に至る「5つの再審裁判事例から誤判の原因を探る-有罪率99・9%に潜む冤罪の危険」(現代人文社)の校正のご依頼であったが、話しの主題はむしろフロンティア事務所のことであった。丸山さんのお話は、二弁会長の任期が終わり少し落ち着いたら、フロンティア事務所を支えてきている全友会の幣原廣弁護士の後任として所長に就任したらどうか、というものであった。私は幣原さんが長年にわたり事務所運営に尽力されていることをよく存じ上げていた。周りからも幣原さんにずっと負担を掛けてはいけないという声があることも存じ上げていた。とはいえ、公務が重なり少し休みたいと考えていたこともあり、すぐに返事ができなかった。躊躇している私に、丸山さんは、弁護士にとって最も大切なことを学べるよ、とおっしゃった。それは何かと尋ねると、時間的にも経済的にも大変だけれど、公設事務所にやってくる相談者や過疎地に赴任する新人弁護士から教えられることがあるよ、とおっしゃられた。
 私は、丸山さんの言葉が心に染みた。丸山さんは二弁が創設した大宮ロースクールにて刑事クリニックの授業に精力を注いでいたが、私も早稲田大学ロースクールで同じく刑事クリニックの授業を担当する僥倖に恵まれ、多くの学生から様々教えられる経験を得ていた。法テラスの支援室室長の仕事でも、スタッフ弁護士の養成に関わる中で司法ソーシャルワークに熱心に取り組むスタッフ弁護士の姿に胸を打たれる思いをしばしば経験していた。何より丸山さんは2011年、68歳のときに、当時の澤井英久二弁会長から「団長を引き受けてくれ」という要請を受け、東日本大震災の原発被災者弁護団の団長に就任し、弁護団事務局を設置するために個人名義で虎ノ門のビルを賃借し、その後長年にわたり自ら被災地を訪ね、数多くの集団申立てにも関与するなど、被災者の賠償請求支援に労力と時間を惜しみなく注いでいた(その活動は、丸山さんが2017年に上梓した「福島第一原発事故の法的責任論❶❷」(明石書店)にまとめられている)。私はそのとき58歳。そして、大室さんから教えられた職務基本規程第80条に思いを致せば、疲れたとか休みたいとか言っている場合ではない。私は新たな悟りを開くこととし、二弁公設委員会及び二弁常議員会の承認を受けて、2023年9月に所長に就任した。
 2年余りにわたる所長としての月日は充実していた。東京パブリック・北千住パブリック・多摩パブリック・かながわパブリック・岡山パブリック・広島みらいの各都市型公設事務所の皆さんと交流・連携し、全国横断のサマーインターンシップを実現できたこと、札幌・すずらん基金や福岡・あさかぜ基金の各法律事務所を訪問し、意見交換の機会を持つことができたこと、事務所内部では、勉強会の積極的な外部開放とメソッド改革、養成弁護士の厳選・厳しいタイミングでの中堅弁護士の退所・相談枠の大幅な見直しを経つつも、事務所の財務状況を改善し、什器備品や図書文献の入れ替えや二弁からの借入金の一部返済も実現できたこと、そして事務所の活動を発信する事務所ニュースを久しぶりに発行することができたことなど様々なやりがいと成果に恵まれた。それは私をいつも支えてくれた所員の竹原文雄、菊池秀明、笹森真紀子、川辺雄太各弁護士の尽力に拠るものである。そして、これまでフロンティアから全国各地に赴任していった弁護士、2026年1月に北海道・紋別に赴任する久住和輝弁護士、2027年までの赴任に向けて養成中の細川隆之介・上本瑞貴各弁護士の更なる活躍を願うとともに、私の後任所長となってくださる全友会の林信行弁護士(元・司法研修所民事弁護教官)のリーダーシップの下、持続可能な公設事務所となるために、新しい魅力をどんどん創り続けて行ってほしいと願うばかりである。
 丸山さんは、「二年間所長を務めたが、私にとってはそれが限界であった」と書かれているから(「弁護士という生き方」379頁)、私が二年余りをもって所長を退任することを許してくれるだろう。丸山さんのお別れの会にて弔辞を述べさせていただいたが、重ねて心からの感謝を込めてこの拙文を丸山さんに捧げたい


3 日弁連人権擁護委員会

 「日弁連及び各弁護士会では、各会に所属する弁護士を委員とする人権擁護委員会を組織し、委員会として、広く民事、刑事に係る人権侵犯事案のほか、人種、民族、性等にかかわる差別問題や医療、社会保障等、基本的人権にかかわる諸問題に積極的に取り組み、人権問題の解決に向けての種々の提言を行うほか、立法提案などの諸活動を行い、また、個別の人権侵犯申立事案に対しては、その事案に対応して調査を行い、人権侵犯行為者に対する警告、告発を行う等、人権を侵犯された被害者の救済を図るとともに、人権侵犯事案の再発防止のため積極的に取り組んできたことは公知の事実であり、社会からも高く評価されているところである。」「ところで、本件のごとき拘禁施設内における人権侵犯事案、殊に刑務所の職員による被収容者に対する人権侵犯事案の調査においては、事案の性質上、刑務所及び 被収容者に関する関連法規についての知識が不可欠であり、また、その調査は組織的に取り組む必要があるところ、(中略)弁護士会の人権擁護委員会は、それが第三者機関であること及びその調査に必要とされる知識を有し、また調査態勢を整えることができるところから、かかる事案の調査を行い、必要に応じて適宜の処理を行うのに最も適していると言える。」「したがって、今日、被収容者が刑務所内での人権侵犯の被害の救済を申告できる外部の機関としては、事実上、弁護士会の人権擁護委員会が唯一の機関と言えるのである。」「弁護士会の人権擁護委員会の行う個別の人権侵犯申立て事件に対する調査は、弁護士会の公益活動の一環として行われるものであり、これまでにも幾多の事案において、その調査活動を踏まえた告発、警告、意見によって、個々の人権侵犯事案の被害者の救済が図られるとともにその再発防止という予防的な効果をもたらしていることは顕著な事実である。また、弁護士会の人権擁護委員会の過去の活動実績もあって、例えば、精神病院や養護施設のごとき比較的閉鎖性の高い施設においても、同委員会の調査活動の存在が、施設内での人権侵犯事案の発生を防止するという機能を果たしていることも認められるところである。刑務所等の拘禁施設においても、被収容者に対する人権侵犯事案が生じた場合に、被収容者の申立てにより、第三者機関たる弁護士会の人権擁護委員会の調査により事案の解明が図られることになれば、かかる調査が行われ得るという事実のみで、被収容者に対する人権侵犯事案の発生を抑止する効果が期待できるのである。」「弁護士会の人権擁護委員会は、事実上、個々の申立て事案に対応できる唯一の第三者機関であるところから、その調査活動が果たすべき役割は大きいと言える。」
 あえて長く引用したこの文章は、最判平成20年(2008年)4月15日民集62巻5号1005頁における田原睦夫裁判官(大阪弁護士会出身)の補足意見からの抜粋である。人権の擁護は日弁連・弁護士会の最大の使命であるが、日弁連の人権擁護活動をここまで格調高く論じた文章を私は知らない。弁護士登録6年目の1999年に日弁連人権擁護委員会の副委員長になった私は、その後、日弁連人権救済調査室の初代嘱託になるなど、事務次長時代を除き同委員会の活動に関与してきたが、2021年4月に二弁会長・日弁連副会長となったことを契機に人権擁護委員会から卒業することとした。しかし、同年12月、委員長の川上詩朗弁護士(東京弁護士会)が倒れた。川上さんはその後奇跡ともいうべき快復に至るが、私は卒業の決意を翻し、日弁連副会長を終えて再び人権擁護委員会の副委員長に戻った。川上さんを引き継いだ金喜朝委員長(大阪弁護士会)が川上さんのように倒れることがないよう補佐すると決意したからである。
 そして今、私は日弁連人権擁護委員会の委員長を務めている。それは全友会会員であった故大谷恭子弁護士に強く勧められたからであり、「正当な理由」が見当たらなかった。人権擁護委員会委員長に就任以来取り組んでいる課題や成果については、2026年4月にその任期を終えたら改めて全友ニュースにて報告したい。そして何より大谷さんの墓前に報告したいと思う。


4 人権擁護活動の持続可能性

 先般、朝日新聞にて、全国で国選弁護離れが進んでいるという記事に接した。国選弁護事件は、弁護士が正当な理由なく拒絶してはならない「法令により官公署から委嘱された事項」の典型例である。民事扶助事件を受けたくないという話も耳にするし、ひまわり公設事務所希望者はもとより地方弁護士会への希望者も激減している。人権擁護委員会の希望者や出席率も芳しい状況ではない。このままでは田原裁判官が日弁連・弁護士会に期待を寄せた人権擁護の役割を果たせなくなりかねない。人権擁護活動の持続可能性の問題である。
 報酬の問題が原因であるという考え方がある。もちろん報酬の増額はとても大切である。しかし、報酬が上がれば希望者が増えるという相関関係には必ずしもなく、また本質的にもそうであるべきでないように思う。弁護士のコアバリューの問題であり、魅力の発信の問題であり、担い手の確保の問題であると思う。その問題の解決に向けて、法学部、法科大学院、さらにはもっと前のステージにおいて、弁護士、そして公益活動、公設の魅力を訴え、発掘し、繋ぎ止めていく努力が求められる。
 全友会の吉川精一弁護士は、かつて「21世紀弁護士論」所収の「21世紀への招待」と題された論文において、21世紀の弁護士が直面する問題として、「弁護士の産業化」と「弁護士という職業のアイデンティティの喪失の危険」の2点を挙げた上で、「私は、産業化と弁護士のアイデンティティの問題は弁護士とは何か、弁護士という職業の存在理由は何かという根本問題に行きつく問題であると考えている」、「弁護士という職業が制度的に存在している理由は、各弁護士に経済的理由を追求させるためではなく、弁護士が司法制度の一翼を担い、社会・公共の期待に応える役割を果たしているからである」、「21世紀には日本の弁護士もこのような根本問題と対峙せざるをえなくなるかも知れないが、私は、われわれが今後生ずる弁護士のアイデンティティ・クライシスの傾向に適切に対応することによって右のような問題が生じないような不断の努力を怠るべきでないと思う。」と指摘した。
 全友会の諸先輩が私に引き継いでくださったように、弁護士のコアバリューについて、これからの世代の弁護士と一緒に考え、一緒に実践していかなければならない。多くの弁護士がその意義に思いを致さないこととなれば、弁護士への信頼は大きく損なわれるだろう。そのことは弁護士自治の末路を示唆し、人権擁護活動の終焉を意味することに外ならない。その岐路に私たちは今立っている。

後注
1 同事件の指定弁護士には、全友会の村本道夫弁護士、そして山本健一弁護士(その後、裁判官に弁護士任官し、現在は静岡県弁護士会)にもお引き受けいただいた。同事件は、全友会の河津博史弁護士が弁護人の一人となり、その後無罪判決が確定した。また、2015年には、いわゆる東京電力福島第1原発事故強制起訴事件において、全友会の山内久光弁護士が補助審査員となり、神山啓史弁護士、石田省三郎弁護士、渋村晴子弁護士、久保内浩嗣弁護士とともに指定弁護士を務めた。なお、山内さんは、二弁が東京地裁にて約4000万円の敗訴判決を受けた事件について、全友会の吉成昌之弁護士(2008年度二弁会長)とともに、当時二弁会長であった私からの依頼を引き受けて下さり、東京高裁にて逆転勝訴判決を勝ち取り、その後確定した。
2 澤井さんは、その後、全友会の西ヶ谷尚人弁護士が赴任したみなみそうま法律事務所の開設の際に、米正剛弁護士とともにそれぞれ1000万円ずつ貸付けするなど、同事務所の活動を支え続けた。
3 丸山さんは、団長就任の決断の直前に、二弁理事者室で偶然会った福島県弁護士会の浅井嗣夫弁護士から、「原発事故賠償の問題は、いまは東電が責められていますが、弁護士会や弁護士が頑張らないと、批判の矛先は弁護士や弁護士会に向けられます。弁護士会と弁護士の社会的使命が問われています」と言われたことを忘れることはできない、と述懐している(「弁護士という生き方」518頁)。
4 丸山さんは2023年6月22日に79歳にて逝去され、お別れの会は同年10月16日に執り行われた。司法修習25期の同期にて、18名全員無罪となったピース缶爆弾・日石・土田邸事件をはじめとして数々の刑事弁護・無罪事件を共にし、「生涯にわたる無二の親友」であった石田省三郎弁護士、全国の法律相談センター事業の発展に尽くした同志である奥野滋弁護士、原発事故被災者支援弁護団の事務局長として丸山団長を公私にわたって支え続けた吉野高弁護士、そして大宮法科大学院の教え子を代表して菊間千乃弁護士が、それぞれ一人ひとりの想いを込めて丸山さんに弔辞を捧げた。

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